男の子2人のシンママデビュー*あれこれ日記*

中学生・小学生の男の子を育てるアラフォーです。楽しく過ごす!!

目標ができた。あきらめない。

母が入院して1週間。今日は病院の先生と今後についての面談ということで今から病院へ向かう。何のお話だというのだろう、きっと、いい話ではないのだ。

 

いくらでも悪いことを考えてしまいそうな日々の中、それを打ち消す方法を見つけた。

 

「目標」だ。

そのための「勉強」だ。

 

本、ネット、ブログ、YouTube、いくらでも情報を仕入れることはできる。

そして、本気でやろうと思うと、いくらでも時間が必要となる。

時間が必要ということは、余計なことを考える暇がなくなる。

ひたすら邁進する、のみ。

 

見つけた目標は、インターネット上に自分のお店を持つこと。

 

これなら、今のパートでお給料をいただきつつ、母の力になれる状況を維持しつつ、仕事を拡大していけば収入につながると考えた。

短期目標で終わらせず、長期的に取り組んでいきたい。

販売には興味があり、数年前自分のネットショップを、と思い立ったことはあったが、うまく情報を仕入れるところまで辿り着かずに終わった。

 

今は、そんな生ぬるいことは言ってられない。

生活していかなければ。

子どもと自分の将来のためのお金が必要だ。

長男くんの高い塾代もある。笑

頑張りたいという子どものため気持ちよく、塾には通わせると決めた。(こう思えるまでしばらく葛藤はあった)

毎月の塾費用だけじゃない。春期講習も、夏期講習も冬季講習も特訓とやらもある。。

2年間でざっと見て200万超えるな。恐ろしいっ( ;∀;)

いやいや、思う存分勉強してこい!

頑張るから!

一緒に頑張ろう!

 

情報は、取りに行く。

情報が多くて頭ごちゃごちゃ、物覚えも悪く、トライアンドエラーを繰り返している。

でも

諦めないと決めた。

 

 

 

 

 

 

泣いてる赤ちゃん

次男くんインフル罹患後から2週間後、長男くんがインフルになった。

どうせなら、いっぺんにかかってほしい。

 

病院の待合室に、0歳の泣き続ける赤ちゃんとお母さんがいた。

赤ちゃん、30分以上、ずっと泣いていた。

 

体調悪くて、眠りたいけど眠れなくて、ぐずってるんだろうな。

お母さん、大変だな。

大丈夫ですよ、みんな泣きながら育ってますよ、

気にしないでいくらでも騒いでください。

 

今、私の隣にいる涼しい顔のお兄ちゃんも、1時間とか余裕で泣きまくってましたよ。

のけぞって大泣きして、抱っこ紐から落ちそうな勢いでしたよ。

 

と思いながら

かわいい赤ちゃんの泣き声を聞き

全力の泣き顔をじっと見ていたら、なんでか涙がでてくる。

なんでだ。

 

 

かわいいなぁ

小さいなぁ

大変だよなぁ

あんなんだったなぁ

子どもと自分の姿が重なる

私も、がんばってたよなぁ

 

精一杯生きる赤ちゃん。

一生懸命育てた、宝物の時間。

小さい子を見るたび、思い出す。

 

 

 

 

本気豆まき 開催



 

数ヶ月前の誕生日、子どもたちにおねだりしてお手紙をプレゼントしてもらった。

お手紙が大の大の大好物。

子どもからのお手紙がいちばーん、うれしい ♪( ´▽`)

 

二男くんは「ママ、いつも一緒にふざけてくれてありがとう。大好きだよ。」と書いてくれた。(悶絶)

 

二男くんとは、ふざけあうツボが合うのか、毎日よくじゃれあって、ここでは書けないようなくだらないことをして遊んでいる。。

 

そんな様子で騒々しいもんだから長男くんから

「ママと二男、いちゃいちゃしててうるさい!」とお叱りを受けたりして、なんか、すみません。

 

そうか、ふざけたママは好きか、、、💖ニヤリ

 

先月、100均で、百円ではない良いものを見つけたのでゲット。

 

節分の日を待っていた。

 

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やっぱり、鬼といえば赤鬼よね。

赤いアフロに、トラ柄パンツ。いいじゃない、

本気豆まき大会、やろうじゃないの。

 

いざ、こっそり着替えて二男くんの前にしれっと登場。

一瞬、ビクっとして、ぱあぁっと笑顔。

 

「ママ!びっくりするじゃん!!」

 

「本気豆まきするぞおぉぉおらぁぁあ!」

と雄叫びをあげてみる。

 

長男くんの部屋を突撃し、勉強の邪魔をするも、

「うぉぉっ!なんだ!?」と本気の赤鬼登場に喜んでくれた。

 

使っていない一部屋を丸々きれいにして舞台は整った。

さあ、思う存分、豆を投げるのだ。

 

鬼が本気な分、彼らも本気になり、当たる豆が痛い痛い。

容赦ないな。

戦う本能が目覚めるのかな笑

お面のおかげで顔は当たっても痛くなかったが、視界が悪いせいで子どもたちの嬉しそうな顔がよく見えないと言う難点が。

 

鬼は外ー!!!! 福は内ー!!!!!

 

わーきゃー言って投げたものの、第3ラウンドで終了するという。

早っ

 

「え?もっとやろうよ。」と鬼。

「もっと当てられたい。」と鬼。

「ママ、どMなの?」と二男くん。

いや、そういうことじゃないけどさっ! 笑

 

大きくなった2人は、散らかった豆の残骸の片付けも素早く、

あっという間に豆まき大会は終わった。

 

何事も、全力っていいわ。

次のイベントはバレンタインか。

ハート型のかぶりものとか売ってないかな。

 

 

子離れできるよ 大丈夫

大手の塾は入塾テストがあるんだって。

受からないと通うこともできないのか。

今日はそんな塾に長男くんが入るための入塾テストを受けに来ている。ふだんだったら2人でお出かけなんて私が望んでも許されないが、初めて電車で行く場所ということで彼の希望。

終わるまで私はマックでコーヒータイム。

 

がんばれよ〜と、心で祈りながら、これ高校受験当日とかどう過ごす?って思う。

母だよなぁ。

 

いつだって最善を願ってるよ。

転んだって、起き上がった先にもっといい未来があると信じて願うよ。

君が何歳になっても、永遠に幸せを願うよ。

 

大きくなるほどに、自分でどうにかしていくわけで、母は何もできなくなる。

むしろ手を出しちゃいかんってやつ。

 

べったりママっ子を手こずって育てながら、多分この子はスッと私の手を離す日がくるな、それは早いかもしれないと思っていて、その通りだった。

子どもがもっともっと小さい時、

『未来の私は子離れできるのかー?したくないよぉー。かわいいかわいいしたいよぉー。』と悶えていた。ずっとほっぺハムハムしていたい!ぎゅーってしたい!こんなかわいい子と距離をとるなんてできるのか!?って。

 

心配していた過去の自分よ、大丈夫、意外と慣れるぜ。

物理的にでかくなっていくので、自然と「かわいいかわいいの対象」じゃなくなってくる!

むしろ、頼もしい、になってくる。

 

小学校の卒業式はスーツを着たのだけど、スーツ姿が、思ったよりお兄さんに見えた。

母はどれだけ涙しちゃうだろうと思ってたけど、その姿で堂々と式に出ている姿を見たら、思ったより涙は出なかった。

嬉しいなって思えた。立派になったな、成長してるなって。

 

さみしさを、うれしさ側から捉えられたら、とても幸せ。

 

まちがえた、それもよし

なんとなく気が乗らずだらだらとしがちな休日を過ごしがちだったが、ストレスをどうにかしないといけない、とヒシヒシと感じていたこともあって、重い腰をあげて1人カラオケ&マッサージでストレス解消を行ってきた。

カラオケ、ミセスのケセラセラを歌い始めると涙がビャー。笑

 

utamarutyo.hatenablog.com

 

 

やっぱりストレス溜まってた・・・。(T ^ T)

 

新年明けて、よしやるぞと気張りすぎていたようだ。

こうやって自分でメンテナンスしないといけないんだな。

マッサージなんてお金かかるし滅多に行かないけど70分2980円という格安マッサージを見つけたので期待せず行ってみた。もう、どんなんでもいいから誰か私をほぐしてください笑

 

結果、効果あり!( ^∀^)

終わった後は老廃物が流れて体がだるくなると聞くけれども、めっちゃだるくなり、この眠さ半端ない。こんなに私疲れてたんか?

それでも家に帰ってやることはたくさんで、ぼーっとしてフラフラしながらこなす。体も心も少し軽くなった。

 

つめこんじゃ、いかんな。

 

脳にボンボンとタスクを入れていくと、隙間が狭くなってゴミがつまっていくイメージ。流れていかない。スペースが空いていれば流せていた要らない思考が、脳にこびりついていく。要らねー、そんな思考。

 

今の私でいうと、離婚の傷なのだが、あれやこれやと考えがちだった。直後は気合いでポジティブに変換しようとしていたが、離婚3ヶ月、ちょっと落ち着いてきたんだろう。これはいい意味で、ということにする。

 

何がどうしてこうなっちゃったかな、と頭によぎる小さい考えが、ゴミになって脳みそに溜まっていたのだが、先ほどスーパーで菅田将暉の「まちがいさがし」という歌が流れてきて、ストンと胸に落ちた。

 

あー、そっか。ここのところ、私は「まちがいさがし」をしていたのか。

 

だらしないというより、完璧主義の方に近い自分の性格。

なんでもちゃんとやりたくて、計画的で、石橋叩いてあれこれ調べて、結果渡らなかったりする恐がり。失敗をしないように、慎重に生きる方を選んできた。

だから、「まちがい」をおかしてしまったように思っていた。

子どもへ与えてあげる人生も、私のこれからの人生も、離婚という一個の間違いを背負ったような。

 

でも、「まちがい」じゃないし、「まちがい」だったとしてもそれでいいじゃん、となんだか思えた。

 

まちがいじゃない! ←頑な

 

まちがえた ←自分責めすぎ

 

まちがえたかも知れないけど、ま、いいか! ←今の気分( ´∀`)

 

人間なんて生きてればまちがいだらけだし、それでも精一杯やってきたならそれでいいじゃないか! 子どもたちが今ここにいる奇跡につながっている。

 

 


www.youtube.com

 

 

どこまで子どもに勉強させるかの話

どこまで子どもに勉強させるか。

アメとムチ?にんじんぶら下げる?自分でやるまで放っておく?中学生になったら自分でやり始める?

 

今朝、二男くんは頭が痛いと言って学校を休んだ。私は仕事へ。先週彼のインフル罹患で休ませてもらったので今日は休めない。

学校を休んだ日は、下校時刻まではゲームはしないことをルールとしている。

が…ゲーム、やってたな。youtube見てたね。アマプラもね。いつものルーティーン。なんでも履歴みればわかるんだぞ。モヤる。

 

夕方、担任からお電話をいただき、休んでいる間、算数が進んでいるということを知った。ほら、休むと単元進んじゃうから家でやらないとね、と言いつつランドセルから計算ドリルを引っ張り出してパラパラ見ると、 え?やってなくない?

 

●昨日宿題やったと言ったところ、やってないよね?

●前のページ、やっけにキレイに書いて丸つけしてるけど、この計算は暗算できないよね?筆算の痕跡ないけど、答え丸写ししてない?

●ここ、式違うのに答え丸ついてる... って、間違えてるのに丸にしてるじゃん!

●ねぇ、間違えてるところ答え書くだけで終わってるよ。答え合わせ、なめてんの?

極め付けに、

筆算の書き方がやばい。

割る数と割られる数を逆の場所に書く。

これ、よくやるから、見つけちゃ口を酸っぱく言ってるのに。直らない。

いや、これ3年生で習うとこだから…。

 

はぁ、ここのところ自主性に任せていたら、こんな状態か、と反省。

彼は勉強より楽で楽しいことが好きな子どもらしい子どもであるから、当然か。

しかしさすがに筆算の書き方には、まだそこか、と。 

私がもっと余裕があったら、見てあげられていたかなとか、今からもう少し丁寧に取り組ませないととか思ったら、自分1人でやらなきゃいけないことがまた増えた気がしていっぱいいっぱいだーと思った。

 

しっかり二男くんを叱り、一緒に解き直しをしていると時間もかかり、長男くんに夕飯6時半くらいと答えたのをすっかり忘れてた。ご飯遅いとブーブー言われる。

いやいや、母のやること多すぎん?

 

ひとり親は、ひとりで全部するんだね。

今までも、子育てはワンオペにようなものだったけど、責任が、全部自分にあるような気がする。

かわいい子どもたちが、私の行動次第で変わってしまうような責任を感じてしまっている。

そんなこと、ないんだろうけど。

他の人がこんなこと言ったら、きっと「そんなことないよ!」って私も言うんだろうけど。

 

子育てはさ、こういうところですよ。毎日毎日子どもの今と将来のことを考え、悩み、心配し、衣食住を整え、そして嬉しさと楽しさがある。養育費払えば子どもは育つと思っているどこかの人、あなたは子育てしてません。お金を振り込んでいるだけなら、国の助成金と同じです。

 

子どもの個性はあるし、親の関わり方でどこまで変わるかはわからない。

本当は、大らかな子育てが理想。大らかな子育ては、お互い楽だし、自由だし。

いつだって子どもありのままの姿を受け入れる優しい母でいられる。

年中、優しい母でいたいよ。好いてもらえる母でいたいよ。

でも、勉強していくってのも大切なこと。勉強しておけばよかった、と思うことはあっても、しなくてよかったって思うことはまずないはず。

知識は財産になる。将来、何かになりたい、したいと思った時、可能性を広げてくれると思う。

 

うーん、やること多し。とりあえず、どううまく取り組ませるか、悩みどころ。

ストレス溜まってるなあ。1人カラオケでも行こうっと!

四十にして惑わず・・・

四十にして惑わずって誰が言ったんだっけ。

孔子か。

四十にして、惑いまくりなんですけど🤣

 

”人生における幸福度が最も低い年齢は、先進国で47.2歳。 発展途上国で48.2歳。 日本は幸福度が最も下がるのは49歳で、そこから徐々に回復し、82歳以上で最高値に。”

なんて情報もある。

40代は幸福度がさがるほど、色んなことが重なる年なんだ。

私だけじゃないね!

 

立派な大人の年齢だし、30代だと自分をおばちゃんというのに若干の抵抗があったものの、すでにそれも無く、堂々と胸張って自分を「おばさん」と言える。

 

そして周りも、若い子の多い職場だからか、誰も「まだまだ若いですよ」とも言ってくれず120%「おばさん」確定で見てくれている。

なのに

大人ってなんだろね。

外側は年齢重ねていっているけど、

中身、ちゃんと成長してるかな?

 

自分が若い時は年上の人はもっと大人だと想像してた。

子どもの時は、親を十分な「大人」だと思ってたけれど、

大人の役割を頑張ってくれていたのかもしれない。

 

子曰く、

吾十有五にして学に志す、(15歳で学問に志し)

三十にして立つ、    (30歳で独立した立場に立ち)

四十にして惑わず、   (40歳になってあれこれ迷わず)

五十にして天命を知る、 (50歳になって天命をわきまえ)

六十にして耳順う、   (60歳になって人の言葉が素直に聞かれ)

七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず

(70歳になると思うままにふるまって道を外れないようになった)

 

このぶんだと、五十にして天命を知ることは到底できないな。

せめて六十にして耳順う、はできるようになりたい。

かわいいおばあちゃんになりたいぞ。